「やりたいことは明確。でも、経営のことは何も分からなかった」

KSPの起業相談を重ね、補助金への再挑戦を経て助産院を開業した「助産院なないろ高知」岸 範子さん


産後の母親と赤ちゃんを支える助産院を開業した岸さん。
助産師として長年経験を積み、「産後のお母さんをもっと継続的に支えたい」という思いは以前から明確だった。
一方で、自分で事業を始めた経験はなく、事業計画や資金計画、法人、減価償却といった経営の知識はほぼゼロからのはじまりだった。

そんな岸さんが活用したのが、高知県の起業支援だった。
こうち起業・創業支援プラットフォーム(以下、KSP)のセミナーや起業相談を利用し、専門家に何度も事業計画を見てもらった。その後商工会議所にもつないでもらい、補助金申請にも挑戦した。

しかし、最初の申請は不採択。
それでも岸さんはあきらめなかった。審査で指摘された課題と向き合い、計画を見直しながら再挑戦。その試行錯誤の末に補助金の採択を受け、現在の助産院開業へとつなげた。

今回は、専門職としての経験や思いをどのように事業に変えていったのか。岸さんの歩みを聞いた。


 

産後のお母さんを、もっと長く支えたい

岸さんは高知で育ち、看護師を目指して県内の看護学校へ進学した。実習で産婦人科を経験したことが、助産師を目指すきっかけになった。
「実習で妊婦さんのお腹の赤ちゃんの心拍を聞いた時、またその方のお産に立ち合わせていただいた時に、生命の神秘じゃないですけど、『もうこれだ』と思ったんです。」

卒業後は大阪の助産師学校へ進学し、資格を取得。大阪の総合病院で勤務した後、高知へ戻った。
その後、産婦人科の現場で長く働くなかで岸さんが強く感じるようになったのが、産後の支援の必要性だった。
「産後のお母さんって、すごく思い詰めていたり、悩みが深かったりするんです。でも少しアドバイスするだけで、ぱっと気持ちが上がったり、また頑張れたりすることもあって。そこを支えてあげたいと思っていました。」

妊娠中は、どうしても出産そのものに意識が向く。
しかし、実際には赤ちゃんが生まれた直後から授乳、睡眠不足、体調の変化など、初めて経験することが一気に始まる。特に母乳については、出産直後の数日間が重要だという。
「妊娠中は産後のイメージがなかなかできないんです。だから、妊娠中から産後のことを伝えていくことも大事だと思っています。」

お産だけではなく、その後まで支える。次第に岸さんの中で、やりたいことがはっきりしていった。
 

まずは既存施設を借りて、産後ケアを始めた

起業を考えたからといって、いきなり自分の施設を構えたわけではない。
勤めていた施設の状況が変わったことをきっかけに、「やはり産後ケアをやりたい」という思いが強くなった岸さんは、まず既存の施設を借りて産後ケアを始めた。
「自分たちだけでいきなり独立するのは怖いところもあったので、まずそこでやらせてもらいました。」

ベッドや必要な設備がそろった環境で、以前から一緒に働いていた仲間とサービスを提供する。
そこで実際のニーズや運営を経験しながら、自分たちの助産院を持つことを考えていった。

場所探しも進めたが、助産院には施設として満たさなければならない条件もあり、どこでも開業できるわけではない。
なかなか物件が決まらないなか、家族が所有する建物が空くことになった。
「ちょうど『ここが空いたよ。自由に使っていいよ』と言ってもらえて、そこから一気に話が進みました。」

場所が決まり、いよいよ具体的な開業準備が始まった。


補助金の存在すら知らなかったところから始まった

転機となったのが、改修を相談していた建築業者からの情報だった。
「こういう補助金がありますよ。」と教えてもらった時に、初めて県の起業支援を知った。

「補助金とか全然頭になかったんです。県に起業の相談窓口があることも、支援をやっていることも全然知りませんでした。」

それまで長く助産師として働いてきた岸さんにとって、医療や産後ケアは専門分野だった。しかし、起業するとなると話は別だった。事業計画や資金計画、経営の仕組みなど、分からないことばかりだったという。
そこで、KSPへ相談し、いろいろなセミナーにも参加。起業した人の成功事例だけでなく、失敗や立て直しの事例なども聞いた。

「自分は産後ケアがしたい、ということだけで突っ走っていたんです。経費とかお金のことは、本当に考えが薄かった。甘かったと思います。」

やりたいことと、事業として続けられることは別。
KSPを利用するなかで、その違いを初めて具体的に考えるようになった。

 

最初の補助金申請は不採択。それが事業計画を見直すきっかけに

岸さんは県の起業支援補助金にも挑戦した。しかし、最初の申請では採択されなかった。
「一回目、落ちてるんです。」

書類を準備し、慣れないプレゼンにも臨んだ。当然ショックはあった。それでも、審査後に返ってきたフィードバックが、事業を見直す大きなきっかけになった。
「結果のところに、どこがどうだったのかをすごく細かく書いてくださっていたんです。ショックではありましたけど、『ここまでちゃんとしていないと、起業するのは怖いんだろうな』と思いました。」

それまで岸さんの計画の中心にあったのは、「産後のお母さんを支えたい」という思いだった。
しかし、起業するには、それだけでは足りない。

収益をどうつくるのか。
借りたお金をどう返すのか。
継続できる計画になっているのか。
専門家から指摘を受けたことで、それまで見えていなかった部分が具体的になった。

「自分の足りないところをズバッと教えてくださったので、もう一回やろうと思いました。」

 


「こんなにしょっちゅう来る人いるかな」と思うくらい相談した

再申請に向けて、岸さんはKSPの起業相談を何度も利用した。
「こんなにしょっちゅう来る人いるかな、申し訳ないなと思いながらも通いました。」

最初からやりたいことは明確で、その思いを伝えることはできた。しかし、数字の話になると分からないことばかりだった。
「減価償却費っていう言葉すら意味が分からなかったんです。法人って何ですか、というくらいでした。」

インターネットや動画を見れば情報はたくさん出てくる。それでも、自分の場合に何が必要なのかは分かりにくい。
KSPの起業相談では、自分の事業計画に合わせて一つずつ整理してもらえた。
さらに、KSPから商工会議所にもつないでもらい、より具体的な事業計画や資金計画についての相談を重ねた。
「担当者から『僕、ズバズバ言いますけど大丈夫ですか?』と言われましたけど、私は逆にズバズバ言ってもらった方が良かったです。」

KSPだけで完結するのではなく、相談内容に応じて商工会議所など次の専門機関につながっていったことも、岸さんにとって大きかった。

起業準備では、さらに基本的なところから始めた。
補助金申請や事業計画書の作成にはパソコンが欠かせない。
「それまで、パソコンで作業することがほとんどなかったので、まずはパソコン教室に通いました。」
分からないことを一つずつ学び、相談を重ねながら事業計画を磨いていった。

そして再挑戦した補助金申請は採択。融資や施設改修、設備導入へと進み、助産院の開業が現実のものとなった。

岸さんにとって補助金は、単に開業資金を得るためだけの制度ではなかった。
申請する過程そのものが、自分の事業を数字で考え、第三者へ説明できる形にする機会になった。

 

採択後は、融資・改修・設備導入へ

補助金採択後は、開業準備が一気に進んだ。
建物の改修を行い、必要な設備や備品を整える。補助金だけでは賄えない部分については、金融機関から融資を受けた。

銀行との融資相談も初めての経験だった。
家族や周囲に経営経験者はいたものの、
「一緒に暮らしていても、実際の会社経営のことって分からないんですよね。」と話す。

家族、KSP、商工会議所、金融機関、建築業者。
分からないことは、その分野に詳しい人へ相談しながら進めていった。

「起業する人って、相談できる相手がいないことが一番不安なんじゃないかなと思います。」
岸さん自身も、一人で全部理解してから動いたわけではない。必要なタイミングで相談先を増やしながら進んだ。


「産後ケア8回」で終わらせず、その先も支えたい

現在、助産院では日帰りや宿泊の産後ケア、母乳外来などを行っている。
利用者も増え、産後ケアでは1ヵ月先まで予約が埋まり、キャンセル待ちになることもあるという。

高知市では、産後のお母さんが行政の産後ケア事業を利用でき、現在は最大8回まで支援を受けることができる。
岸さんが大切にしているのは、その制度の利用で終わりにしないことだ。
「単に休息する8回で終わるんじゃなくて、その先につながる8回にしたいんです。」

授乳や育児は、産後ケアの利用期間が終わっても続く。
だから、何かトラブルがあった時にまた相談できる場所でありたい。
「出産したら終わりではなくて、授乳を続ける間もその後もサポートしていきたいんです。」

利用者から「実家に帰ってきたみたい」と言ってもらえることもあるという。
単に赤ちゃんを預かる場所ではなく、母親自身が休み、不安を相談し、また育児に戻っていける場所を目指している。


 

次に考えているのは「来てもらう支援」から「こちらから行く支援」へ

開業したことで、新たに見えてきた課題もある。
産後すぐのお母さんにとって、助産院まで行くこと自体が負担になる場合があるということだ。

そこで岸さんが今後考えているのが、訪問型の支援だ。
「産後すぐは体もしんどいし、ここまで来るだけでも必死なお母さんがいます。だったら私たちが行く方法も考えてみたいです。」

妊娠中の教室、産後ケア、母乳外来、訪問支援。
事業を続けるなかで、「次はこれも必要なのでは」と新しいアイデアが生まれている。

「最初よりは少し自信につながったというか、私でもスタートできたんだという実感があります。」


「やりたい」だけだった思いを、支援を使って事業に変えた

岸さんには、最初から「産後のお母さんを支えたい」という明確な思いがあった。

長年の助産師経験もあった。
しかし、事業計画の作り方も、資金計画の立て方も最初は分からなかった。
補助金の不採択も経験した。
それでも相談を重ね、指摘を受け、計画を修正し、一つずつ前へ進んだ。

「本当に無知だったんです。でも、やりたいから相談しました。」

起業相談は、事業計画が完成してから利用する場所ではない。
「やりたいことはあるけれど、何から始めればいいか分からない」
そんな段階から相談し、必要な知識や支援につながることができる。

専門職としての経験を持ちながら、経営のことについて何度も相談に足を運び、支援を使いながら事業を形にした岸さん。
その歩みは、自分の専門性や経験を生かして起業したい人にとって、高知県の起業支援をどう活用すればいいのかを示す一つのモデルケースになっている。

 

「助産院なないろ高知」
・住所:高知県高知市介良乙2661−7
・Instagram:https://www.instagram.com/josanin_7iro_kochi/

文責/株式会社Time Link Creation 遠藤 洋輔